風景の見える食べ物

昨日の続きみたいな話ですが

食べ物は「情報」という捉え方がある。
よく「種」は情報だということを聞くけれど、それと同じかな。
昨日の気づきで、食べ物は情報である、ということが実感として解った。

情報という言葉が無機質な感じがして、味や食感がある食べ物に使う言葉としては何となく違和感があると思っていたのだけど、実際、腑に落ちてみると、そんなことはなかった。

食べ物って栄養とか成分とかの話もあるとは思うけれど、おそらく入っている「情報」の質の違いだと思う。「食べ物の体験」とも言えよう。ジャンクフードが悪いとか、有機野菜が良いとか、昔から聞いてはいたものの、有機のモノが必ずしも良いということはなかったということは、経験上何回もあった。これはおそらくその食べ物が体験して保持している記憶の現れ。そう考えれば、ジャンクという言葉の定義は通り一遍のモノではなく、自ずと判断できるということが解るはずだ。

どこで、誰が
どんな思いで
どんな風に育て、作り
流通に乗せ
私の手元に届いたのか

全て情報

食べることを通して、私はその情報を全て吸収している。

自分はどんな情報を自分の血肉としたいか?

ここまで「情報、情報」って書いたけど、
もう少ししっくりくる感覚はないかと思っていたときに、ふと閃いた。

「風景の見えるもの」

その瞬間、情報に五感が宿った感じがした。

私の食べたいものは
これに尽きる。

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