不快感のその先へ〜映画「天気の子」

新海誠監督の「天気の子」
この夏の話題作ですが賛否両論、さまざまな感想があるようです。

8月の上旬、わたしもこの映画を観に行きました。

映画を見る前、たまたま新聞に掲載された新海監督のインタビューを読んでいました。そこで新海監督はこの映画を「少年が社会から逸脱してゆく物語」だと言っておりました。

登場人物たちは、抜け出すにはどうしたらいいのかわからないような閉塞感のある日常のなか、それぞれの正義で懸命に行動してゆきます。でもそれは決して良い方向には動いてゆかず、むしろどんどん追い詰められていくように感じました。個人的には「社会から逸脱してゆく物語」というよりは「社会に埋没してゆく物語」といったほうがしっくりくる。そして胸の奥に澱のような、不快感に近い後味が残りました。

観る人に問題定義をするというのも映画や文学など芸術の大きな役割です。そういった意味で、大ヒットした前作の次にこの作品を世に出したことは、一定の意義はあるのではないかと思います。わたしも、良い悪いはひとまず脇に置いて、不快感が自分の中の何に反応して起こったのか確認する作業をしてみようと思っています。向うべきは不快感のその先なのです。

それと、残念だなと思ったこと

企業とタイアップしているのは観る前から数々のテレビコマーシャルを観て知っていたのですが、作品それ自体が、さまざまな商品のコマーシャルのようになってしまっているように思いました。リアリティ追求の路線がちょっと違うような。せっかくの作品がもったいないです。

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