アフターコロナという世界観

2020年の1月、私は伊勢神宮から熊野速玉神社へ続く伊勢路の上にいた。
(その時の記録はこちら
夜、天気予報を見るために部屋のテレビをつけると「武漢でウイルスが発生」と言っていたことを、遠い昔のように思い出す。

それから2年、たった2年、されど2年。我々の世界は大きく変わり、今尚、それは続いていると多くの人は思っている。

よく「アフターコロナ」という言葉を聞くが、これは感染者数が減ったからとか、有効な治療方法が確立されたからとか、仕事がもとに戻ったからとかで手に入る世界ではない。言ってしまえば、自分が決めることなのだと思う。

私がもっともよろしくないと思うのは、何事もなかったのように、何となく日常を戻してゆくことだ。

それは、私が病気を通して何よりも実感したこと。

病気は、病そのものを治すために起こるのではなく、病になった自分を辞めるためになる。だから、自身に起こったことには必ずメッセージがある。

それに気がつき、かつ答えを出してゆかなければ終わらない。逆に言えば、それをやることで、終わりは自分で決めることができる。

約2年近くに渡る、この流行病が我々に突きつけたことは「意識的な変化」
これを通り抜けない限り、永遠のコロナ禍にハマってしまう。

それは国がやることでも行政がやることでもなく、
ひとりひとりがやることなんだよね。

そんな時代が本格的にきたと思う。

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