食は祈り

福島駅からほど近い場所に川鳥(かわとり)という餃子屋さんがある。
まだ雪が降っていた時分、友人に連れられ初めて川鳥の暖簾をくぐった。
しっかりと練られた具は甘く柔らかく、皮は綺麗な黄金色。
店内は地元の人でにぎわっていたが、お店のお母さんとお父さんの人柄もあって
初めてきた私でも家庭的な暖かい時間を過ごすことができた。

その川鳥が最近閉まっていると友人から聞いた。
お店のお父さんが大きな病気を煩ったらしいとのことだった。

その話を聞いた晩、私は餃子を作った。

「川鳥のお父さんとお母さんが元気になって、また川鳥に行けますように」

ずっとずっとそう祈りながら餃子を作って食べた

何かを食べるとき

それを育んだ大地を思う
それを作った人を思う
それを運んだ人を思う
それを売った人を思う
それを調理した人を思う
そして
それにまつわる思い出や人々を思い出す

その全てに愛と感謝をこめて
自分という神殿への捧げものにする

これが食べるということだと思う

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。