自分の闇を見るということ

自分自身を生きると決めた人には、
置き去りにしてきた自分自身に向き合うことが
必ずといっていいほど訪れるのではないでしょうか。

これは「自分の闇を見る」とも言えるのですが
果たしてその「見たくない自分」ってどんな自分でしょう?

恐らく多くの人が「ダメな自分」「嫌いな自分」のことだと思います。

でもこれがなかなか上手くいかないことが多い。

それは何故か?

本当の自分の闇は「いい自分」「好きな自分」にあるような気がします。
正確に言えば「”造られた”いい自分」「”造られた”好きな自分」です。

例えば、

母親からの圧力がつらかった、苦しかった。
「でも」何不自由なく育ててくれた。
「でも」これは私のためを思って厳しくしてくれた。

この「でも」の部分です。
「でも」をつけることで、
罪悪感を減らそうとします。
いい面だけを見ようとします。

しかしこれは
本当の自分にとっては一番傷つく行為です。

嫌いでいい
憎いでいい

ただ憎い
ただ嫌い

そう思った
それだけ

憎いと思う自分を抱きしめた時
憎悪に満ち溢れている自分を抱きしめた時

不思議と湧き出てくる
相手への大きな感謝

自分が大きな愛に包まれていたと気づく瞬間

これこそが
多くの人に通ってもらいたと思う道です。

私も道半ば
皆さんと共にこの道を歩んでゆけたら
と思います。

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