世界における自分の居場所

「自分の居場所がない」

これが幼い頃からずっとずっと、私の心の中を支配してきたことだった。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社とスタンダートな進み方でやってきた私だけど、その中でいつも苦しんだのは「自分の居場所がない」だった。今、振り返ってみれば、全てが組織に属している状態で「自分の居場所がない」と言っていることに気がつくのだけど、そこから抜けることは考えたことがなかった。というのも、抜けてしまったら、もっと居場所がなくなると思っていたからだ。嫌でも、なんか違うでも、友達できないでも、どこかに属している安心感と、毎日、一定の場所に通うという時間潰しができる安心感と。そこでもし、自分の居場所が少しでも見つかれば、それこそそれは、決して手放してはいけないモノだった。

5年前に遂に組織を飛び出すことにした。どこにも属さない自分は初めてで、それこそが最大の不安だった。けれど、何だかんだと出会いがあって、自分の居場所のことなどあまり考えることがなくなっていた自分がいた。考え方もだいぶ変わってきたし、いい感じだと思っていた。

しかし再び雲行きが変わり始めたのが昨年の秋くらいから・・・。今、再び昔の自分の悩みが首をもたげてきている。確かに直近の5年間、悩みは消えていた。しかし実際は消えていなかったのだ。

この出来事で分かったことは「自分の居場所がない」という本当の自分を自分がどう扱ってきたか、ということになる。人間の中には葬り去りたいような自分が一人や二人いる。そんな見たくない自分は、場所を変えたり、時間が経ったりすると居なくなることが多い。でもそれは解決したのでも何でもなく、ただ見なくなっただけだったということだ。それは言ってしまえば都合のいい無視のようなもので、必ず帰ってくる。その帰り方もそれぞれで、同じ感情だったり、病気などに姿を変えて戻ってきたり・・・。そして、ただ帰ってくるのではない。重要なメッセージを携えて戻ってきているのだと感じる。

こうして戻ってきた「自分」に果たしてどう向き合うか。または向き合わないか。健忘録ではなく、リアルタイムな記録として書き残しておこうと思う。

ホント恥ずかしいくらい情けないけど、記録は大事だ。ブログという媒体で文章を書くのが好きだから、ここに書くことにしようと思う。

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