「人」から「ひと」へ

”「人」という漢字は人が人を支えているという姿を表している”

小さな頃、「人」という漢字を習うとき、多くの人が耳にしたであろう、この言葉。
なるほどな〜と思い続けて数十年。

しかし、どうやらこれも立派な洗脳の一種だったのかもしれないと、
このところ思うようになってきた。

確かに赤ちゃんは独りで生きることは難しいし、
人の支えや助けを必要なことは今でも山ほどある。

けれども、この「人は支えなくては生きてゆけない、もしくは支え合って生きている」という考えは「人は独りでは生きられない」ということを暗に刷り込んでおり、それが本来個々が放っている光(命)の力を奪ってきていたのではないだろうか?

助けや支えを求めたり、差し伸べたりするときに
「私は欠けている」「この人は欠けている」
と欠けを補うような感覚がないだろうか?

(おそらく、赤ちゃんは自分に「欠け」を感じていない状態で人を求めることができていると思う。そこが一番大きな違いではないかなと推測している)

人間は欠けたジグゾーパズルではない

各々が完璧な1つのピースなのだ

「ひ」自らが耀きを放つもの
「と」その耀きを外へと解き放つもの

人からひとへ

これは
風の時代の大きなテーマの一つ

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