本当に尊い存在は自然や動物、そして人などのの姿を借りて、ありふれた日常のなかに静かにさりげなくそっといらっしゃる
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今日、同じことを感じる出来事があって、
炎天下の新宿で大粒の涙を流してしまった。
涙で清められた目に入ってきたのは、たくさんの神さまだった。
背広を着た神さま
清掃道具を持った神さま
ヒールを履いた神さま
レジを打つ神さま
・・・・・
八百万の神々
よく「神さまじゃあるまいし」という言葉があるけれど
神さま=全知全能、絶対的存在、という設定だからだと思う。
こういう設定の場合は、神を自分の外に置いている。
自分が神さまだという世界では、バベルの塔は崩れない。
神を外に見て神に近づこうとしたから塔は崩れただけだ。
無駄に畏怖することは何もない。
自分が神だと思い出したら、
行動や思考や在り様が変わる。
そして、
ただそれだけで
この世界は全く変わる。
世界を変えるのが難しいのではない
世界を変えるのを他人任せにしているから
難しいだけなのだ
日常こそ神々のおわします所