いつもより1時間ほど早い6時50分に宿を立つ。というのは宿からすぐの七里御浜で昇る朝日が見たかったからだ。天気は晴れ。水平線から昇ってくる太陽を見るのはいつぶりなんだろう。自然と手が合わさる。最終日の今日は20キロ以上続くこの七里御浜添いをひたすら歩き、フィニッシュへむかう。朝の太陽に見守られながら、同じ風景の真っすぐな海沿いの道をひたすら歩く。道が間違っているかもなどと考える必要もない。次第に脚が勝手に出る感覚がして自分がまるで自動運転で動いているような錯覚。これがフローの領域なのか。
絶好調のペースで脚が進み、この旅、初めてのお昼休憩を取った。道の駅で大内山アイスにめはりずし。美味しすぎる、最高のご褒美だ。終盤は海からはなれ町の中へ、これが曲者でまた迷ってしまう。ここでも通りかかったおじさんに助けてもらう。ありがたい。人が殆どいないのに、ここぞというタイミングで人が現れてくれる、みんな神さまだ、きっと。
とうとう熊野川に辿り着いた。大きな橋がかかっていて、この橋は三重県と和歌山県の県境になっている。行程の殆どは三重県だったのだ。三重県を離れるのが寂しい気分になる。この旅で、三重県が大好きになった自分がいた。橋を越えてすぐを右に曲がれば熊野速玉神社だ。12時45分、熊野速玉神社に到着。浮かんだ言葉は「配線工事、無事修了」だった。何故か急に「銀河の電気工事士」という自分の掲げているヴィジョンを思い出したのだ。自分は伊勢神宮と熊野速玉神社の配線点検メンテナンスをしにきたのかもしれないと思った。世の中も4Gから5Gへの移行期だし、この2つの神社をつなぐグリットも、よりサクサクになってくれたら嬉しいなぁ。
しかしその後、そんな自分の思い上がった気持ちを一掃するような出来事があった。ホテルに荷物をおいて速玉神社の摂社である神倉神社へ行った。かなりの急登を登らないといけないとは聞いていたけど、これほどまでとは。八鬼峠も真っ青の恐ろしいくらい急な石段の先に神倉神社とゴトヒキ岩はあった。帰りの下りでのこと。岩の階段の途中でおばあちゃんが一組の老夫婦と世間話をしていた。「上まではもうえらくて登れないわ〜」みたいなことを話しているのだけど、この場所まで登ってきていることだけで既に普通ではない、さすが地元の人。お年を召してもなお、ゆっくりペースで登ってらっしゃるのだろうなと思った。
そのおばあちゃん、おしゃべりが終わり下り始めたのだけど、恐ろしくペースが早い。後ろから降りてきた彼女に、途中の踊り場で私は「先に行ってください」と声をかけたのだけど、もうびっくりするくらい軽やかに急な石段を降りてゆく。とても付いてゆけない、まるで仙人だ。彼女の降りた痕跡をたどりながら私も何とか降りきろうというときだった。
先に降りていたおばあちゃんが杖をおいて、脇に立つ杉の木に抱きついた。そしてしばらくして木から離れると、石段に額突いた。どのくらいの間、そうしていたのだろう。頭を上げると下の摂社にも丁寧にお参りをして、すれ違った私に「お先でした」と柔らかく声をかけ、颯爽と自転車に乗って帰っていった。その一連の行為は、もう何十年もそうやってきたんだなとはっきり分かるほど自然で、真実だった。神社巡りとかご利益とかそんなものではなく、その姿は本当の祈りだった。その姿にわたしは、自分のもの凄く深いところが目覚めるような感動というか衝撃を受けた。彼女の在り方そのものがまるで神さまのような尊いものだと感じたのだ。あぁ、平凡な日常の中にこそ神さまはいる、この旅で何度も何度も感じてきたことじゃないか。
本当に尊い存在は自然や動物、そして人などのの姿を借りて、ありふれた日常のなかに静かにさりげなくそっといらっしゃる。
170キロの旅の果てに、やっと気がついたのだった。