決断するのは他人じゃない、自分だよ

自粛要請、とか、それ以外でもね、自分で決断することが一番大事なんだと思う。
他から押し付けられた決断をしたら、たとえそれが正しかったとしても、絶対に何かモヤモヤしたエネルギーが残る。

私もそうだった

昔、若い頃付き合っていた人がいて、親にその人との付き合いを猛烈に反対された。実は自分の中では、このおつきあいが何か違うって感じていたんだけど、自分で答えを出すまで体験してみたかったんだよね。でもその答えを他人に強要されると、たとえそれが正しかったとしても、もの凄い違和感が残る。そしてそれはずっとわだかまりとして残る。

今回ね、3月半ばからニューヨークへ行く予定だった。
丁度日本で緊迫感が高まっていた頃で、当時まだ何ともなかったニューヨークの友だちには私の迷いが全く理解されなかった。行くか行かないか、ホントに悩んだ。自分なりに情報を入れて、話を聞いて、それで決断のラインを決めた。今、振り返ってみれば、自分の心は最初から「行かない」を決めていて、それに対してどう辿り着くかの作業だったと思う。

もちろん今回も外からは頭ごなしの反対の声もあった(もちろん親)。でも一番大事だったのは、自分で結論を出したこと。そして大体、結論ってのは最初から自分の心の中にはあって、それは大体正解(今回の場合は行かない)なんだよね。自分で結論を出すんだと決めると、意識は俄然クリアになろうと働き始める。状況、そして自分の心の声をしっかり聞けた結論は、ほとんどの場合、正解だ。でもそのプロセスを他人が取り上げてしまうと、どうも変になってしまう。

周囲から見ればもどかしいかもしれない。状況を説明すること、判断の材料を与えることはもちろんできるし、それは必要。でも決断は本人が出すもの。待つことを厭わないで欲しい。相手を信じることを諦めないで欲しい。

多くの人は「悪いと分かっている」けどやってしまった、ということが多い。他がやっているから、ちょっとくらい・・・・。それは自分でしっかり考えて決断を出すことができなかったということだと思う。そうやって決めた判断は、正解でも不正解でも自分の心の傷になってゆくんだよね。

自分に決断を出す、権利と責任と自由があると分かれば、
人はもっと自らの力で積極的により善い選択をしてゆくと思うんだよね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。