自らの意志で選択しよう

マスクをするしない 外出をするしない
その是非に関して色々意見があって
何を選んだとて、どれが正しいかなんて今はわからないと思う。
でも、その中で思ったことを提言したい。

まず、今よく言われているのは「うつらないために◯◯する」という言葉だけど、
自覚がないだけで多くの人は潜在的に既に感染している、と考えた方がいい。
医療や福祉、教育などに関わる人が必要なのは「うつらないこと」だけど、
多くの人がいま意識すべきポイントは「うつさないこと」なのだと思う。

そのことを前提に考えると、

1、マスクについて
マスクはウイルス予防に有効ではないという声もある。クオリティが云々という意見もあるだろうけど、「うつさない」という観点から考えれば、自分から飛沫が拡散される確率を下げることに、マスクをつけるという行為は大いに有効だと思う。もちろん物質的にマスクがない、体質的にマスクをつけられない、などという人もいるだろう。でもマスクをしてなくても、そして、していても、やるべきことはある。

咳エチケット、そして人ごみで大声でしゃべらないこと。自分のフラストレーションを他人にぶつけないようにするために、自分の感情コントロールをすることが必要になってくる。ストレスを貯めない工夫を考えるもいいし、逆に上がってくるストレスを利用して自分と向き合ういい機械と捉える。いずれにしても「心の成長」が求められているのだと思う。

2、外出自粛について
私自身は外出自粛要請に従っている。「うつさない」という観点から考えたらこの行動が一番いいと思ったからだ。週末にかけて予定していた電車に乗って人に合う約束の全てを私はキャンセルした。そのキャンセルのやり取りの中で、人それぞれ色々な受け取り方があることを知った。「不要不急」の度合いが人によっては違う。そしてしっかり防護しているから大丈夫、この美しい時期に出かけられない方がストレスが溜まって具合が悪くなる、など。どれも一見正論だ。でも「うつさない」という観点から考えば正しい選択ではないと思う。

若者が街に出ていることに大人が文句を言う。でも私は若い人の感じていることを信じている。「外出控えろって言っているけど、じゃあ大人はそれに従ってる?言ってることとやってることが違わない?」若い人は矛盾に敏感なのだ。だから、私は大人としてできることを分かりやすい「行動」で示す道を選ぶことが自分ができることだと思う。

そしてこの自粛、やらされ感から選んでないだろうか?
確かに要請はあったが、自分なりに色々考えて「自ら出した結論として」自粛を選んだとしたら、もうそれは誰かの言いなりではない。選んだ自粛の時間をどう使うかも大きく変わるだろう。私個人的にはこの自粛の時間は「種まき」の時間だと思っている。必ず終息して世界が動き出したときに花を咲かせるために、自分を耕し、咲かせる花を選び、種を撒く。

今のこの状況は季節でいえば冬だ。想像して欲しい、冬は必ず終わり春が巡ってくる。そのことを我々は経験的に知っている。冬には冬にしかできないことがある、そのチャンスを逃さないで欲しい。そう思えば、今この状況だって恩恵だと思うことさえできるかもしれない。こんなときだからこそ、目の前のフラストレーションや怒りに自分を預けてないでいて欲しい。

とは言え打撃は深刻だ。経済的な対策は一刻も早く行うよう政府には期待したい(というかこれ以上失望させないで欲しい)

最後に、
羽田の新飛行ルート運用、5G運用開始。このタイミングで起こっているウイルスの猛威。ウイルスと言う生命が我々に何を訴えているのか。一人でも多くの人間が走り出す前に一度、耳を傾けてくれたらと思う。

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