先月、叔父さんが亡くなりました。私を想う、夏の始まり
薄い親戚付き合いの中で、一番身近だった叔父さんだったので
この訃報は私の心の中に大きな波紋を起こしました。
「あぁ、寂しいな」
「兄弟全員に先に逝かれた母はどんな気持ちか・・・・」
行き場のない感情が
ぐるぐると頭を巡りました。
感情の落とし所など、見つかるはずもありません。
いや、待てよ・・・
全ては自分が主体で起こっているという
メタ無意識でいう「自分原因型」で考えてみよう、
そう思いなおしました。
死ですら私が起こしたことならば・・・
これは一見、荒唐無稽な考え方です。
でも起こしたのが自分ならば、答えは必ず自分の中から見つかります。
「なんのために私は叔父さんを、
このタイミングであの世に送ったのだろう」
じっと考え続けました。
すると
答えはすぐに見つかりました。
見つかる、というよりは自分の中から「浮かんでくる」という感じ。
「私は、母に心身ともに寄り添いたかったんだ。
だからおじさんはそのきっかけを
最善のタイミングで私にプレゼントしてくれたんだ」
そのことに気がついた次の瞬間、不思議と
叔父さんへの猛烈な感謝の思いが湧き上がってきました。
そこにもう、寂しさや悲しみ、やるせなさはありませんでした。
直ぐに、私はしばらくの間実家に戻ることにしました。
(答えが出たら直ぐに行動に移す、これは大きなポイントです。これをやらないと気づいても意味がないと言い切れます)
蓋を開けてみれば、全てにおいて完璧なタイミング。
本当に母が(言ってしまえば両親が)心身ともに助けを必要としていたときに
共に過ごすことができたのです。
叔父さんが最後にくれたプレゼント、
私は思い切り生かすことができたと思います。
そして「これからも叔父さんは母を見守ってくれている」
そんな理由のない確信と安心感に包まれることができました。
「自分原因型」で考えることは
本当に大事だと
身をもって感じた出来事でした。
この思考の練習の機会は
電車の遅延
目の前で赤信号
子どもが泣き止まない・・・
なんでもいい、
日常に山ほどあります。
ぜひ
多くの人に掴んでもらいたい感覚です。