塩に関する考察始め

新型ウイルスが猛威を震っている今の状況を理解するための鍵があるのではないか、
と私がインスピレーションを感じたモノがいくつかある。

神道古典
宮崎駿「風の谷のナウシカ」
マドモアゼル愛(占星術家)の月の解釈

その最中、ふと閃いた「塩」に関すること。

マドモアゼル愛先生の月と地球の関係の話をざっくりまとめると、
「地球は元々真水しかなかった。月が地球の衛星化したときに月の水が大量に地球に降り、塩水の「海」ができた。それと同時に元々地球にあった真水(太古の水)は海の底深く潜っていった」
これを真実と仮定すると、塩分(海水)は元々あったものではなく、後から大量に現れたもので、人間はそれに対応するためにに身体に塩分を取り込む道を選んだ。つまり、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の腐海とはまさに我々の「海」のことで、瘴気はつまり「塩」ではないかというひらめきがあった。

大元の人類にとって塩は必要ではなく、むしろ毒であったのではないか。
人間は塩分を摂取しないと生きられないというのは、後付けされたものではないか。
では誰が何のために?

人体だけでなはなく、場などの清めにも使われる程、人間の塩信仰は当たり前のように思われてきたけれど、「塩なしでは生きられない」ことこそ、人間への最大のコントロールだとしたら、これこそが多くの人が感じている「何か違う」の大元ではないのだろうか。

これはあくまでも仮説を組み立てた考えなので、もちろん妄想。でも私はこの妄想に、何か深淵を垣間見たような感じがしている。

何となく塩と少し距離を置いてみたらどうなるんだろう、と思って昨日から塩抜きの食事をしているけど、なかなか厳しい。
様子見ながら気が済むまでやってみようと思う。

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