歩き始めてすぐに気がついたのだけど、人がいない。道にも宿にも。
仕事の関係(多分土木工事関係)の方がたまに宿にいるようだけど、時間帯が違うから顔をあわせることもない。
この日の時点で峠越えは小さな峠を一つだけだったけど、誰もいない山林の中を一人で歩くこと。車のバンバン通る国道を一人で歩くこと。大きな河に掛かる橋の上を歩いたり、ダムとか巨大な建造物を目の当たりにすること。その全てが怖く感じるのだった。自分の中の恐怖心との戦い、私にとってそれが歩くという行為のもう一つの側面だった。
身体や心の奥の方が脅かされるような怖さに押しつぶされそうになったとき、いっそ怖いのなかに入ってみたらどうかと思うようになった。恐怖という感情の中にに入ってみたら、少し落ち着いた。けれど一体この感覚が何処からくるのかそのときはよく分からなかった。でもそれがどこからくるの原因を突き止めようとしなかった。というか疲れてできなかった。ただ「自分は何かを恐れている」ということが解ったこと。そしてその感情を嫌だと思わずに、そういう感情が自分の中にあるんだということを受け止め、ジャッジしない。それができただけで「あれ?何が怖かったんだっけ?」なんて感じになった。面白いものだ。良いも悪いもない、あるがまま、ただそれだけ。
この日「馬鹿曲がり」という場所を通った。地図にはサラッと書いてあったけど、実際はもの凄く分かりづらい場所。前の夜に岡島屋のご主人からの予習のアドバイスを貰っていなかったら、駄目だったと思う。とても面倒見のいいご主人。お風呂を頂いたとき湯船に浮かんでいたユズのさりげない優しさに、どれだけ疲れと心ががほぐれていったことか。本当にありがとうございました。