信頼とかつながりに関する小さな話

昔の職場の先輩が言っていた話を思い出した。

海辺の近くで育った先輩、お父さまは漁師ではなかったけれど常日頃
誰が釣ったかわからない魚は食べられない、
と言っていたそうだ。

目の前のマグロの刺身を口にしながら
私は誰が釣ったかわからない魚しか食べてないな
と思った。

思えば魚だけじゃない。食品、身の回りもの、情報、
その殆どが「誰が作ったか、誰が発信したか」なんてわからないものだらけ。

そう気がついたとき、不思議と希望を感じた。

自分は知らない誰かを無意識のうちに無条件に信頼してきたのだなと。
それって実は凄いことだと思う。

粗悪品、悪意のある情報、世の中には確かに悪の部分もあるけれど、
それらに関わっている人たちはおそらく自分が社会から信頼されうる存在であるということを忘れているだけではないか。
私には、悪の奥には繫がりから切り離されているような疎外感や寂しさみたいな
愛を求めて泣いているようなエネルギーを感じる。

もっともっと多くの人が精度上げて
無条件に自分自身を世の中に差し出すことができるようになれば
この世界は素晴らしいネットワークを構築できるようになると思う。

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